原風景の断片
4歳の頃から8歳の頃まで住んでいた田舎の公営住宅は、うちの家族以外、お年寄りばかりだった。
小学校から帰ったら、三軒隣のおばあちゃんがよくおかえりを言ってくれた。同じく、その三軒隣のおじいちゃんはよく庭で立ちションをしていた。低所得者向けの狭い公営住宅とはいえトイレくらい家の中にちゃんとあるのだけれど。
一軒お隣のおばあちゃんが作ってくれるおはぎが好きだった。
でも、たまにもらうハッカの飴や黒飴の味は、幼かった私はあまり得意ではなかった。
近くにあった教頭先生の家にピンポンダッシュをしたことがある。留守だった。だからってそんないたずらしちゃいけないんだけど、さすがにもう時効だろう。(ごめんなさい)
一番よく遊んでいた幼馴染の家は当時まだダイヤル式の黒電話だった。私も電話を貸してもらったことがある。
その子のお家のお隣さんち(そこで遊ばせてくれていたのがおじさんだったかおじいさんだったか今では思い出せない)ではファミコンで遊ばせてもらっていた。スーパーファミコンじゃなくてファミコンだった。(世の中的にはロクヨンも古くなって来てゲームキューブの時代だった。)
全校生徒は30人くらいで、同学年は自分を入れて5人だったから、他の学年との複式学級だった。
山の中にある学校だったから、小学校の校庭のブランコから見える、春の桜や秋の紅葉が好きだった。
冬には校庭に水を張ってスケートリンクにしていた。
スケート靴の小屋の管理人のおじさんが、ストーブの上で作ったじゃがバターを食べさせてくれた。
自分の背丈ほどもある雪だるまを作ろうとして、とうとう雪玉がそれ以上押せなくなって、離れた場所にとてもでかい雪玉が2つ置かれた状態になったりした。