コトリ会議『しずかミラクル』

コトリ会議「しずかミラクル」を観てきました。こまばアゴラ劇場にて。

 

コトリ会議を観るのは今回が初めてで、制作・出演の若旦那家康さんから宣伝して頂いたのをきっかけに観劇。

若旦那さんには2016年に静岡のストレンジシードでスタッフをした際にお世話になったのがはじめましてなのですが、拠点も異なり、そう頻繁にお会いする訳ではないのにその後も覚えていて頂けて、こうして公演のお知らせをしてもらえるのは有難いです。

 

ここからは作品の感想。

 

繊細で優しい、っていうのがベースにあって、その上であえてチープで単純な表現があって、そのバランスが面白かったです。

良い意味で連続して肩透かしをくらう、他の劇団で見た事がないような飄々とした作風でした。

 

ちなみに、舞台美術が能舞台のようだと一部から言われていたようですが、大学時代に能楽師のゼミにいた身としては、今回の舞台は別に能舞台っぽくはなかったと思います。

左右逆ではあるものの奥の廊下が橋掛りのようでは?という印象を受けた人がいる、という事実は否定しませんが、演出家側にその意図はなかったようだし、あの世とこの世の境界という側面からしても、廊下の使い方に一貫性は感じられなかったので、能舞台っぽいと言ってしまうのはただの見た目の話に留まっているかなと思います。

 

美術面だけじゃなくて演出の面から言っても、静かな舞台ではあったけど、お能の「削ぎ落とした表現の美」とは異質で、ピーターブルックを観た時に感じたシンプルさに似てるかなという感じ。

 

設定としては藤子・F・不二雄SF短編集とか星新一ショートショートを思い返すような部分もあり、そういう不条理で毒気のある感じがもう少し濃くても面白かったかとは思うのだけど、逆に、この状況設定にも関わらずここまで毒気のないピュアな方向性に持っていけるのも珍しくて貴重だなと。

 

SF的要素がある作品なのは事実ですが、「サイエンス・フィクション」ではなくて「少し・不思議な」淡々と、ふわふわと漂うファンタジーな作品でした。

 

キャストでは、牛嶋千佳さんが老女にも少女にも見えて、その曖昧さが素敵でした。若旦那さんの役はチートキャラ。美味しいキャラ。

 

ただ、「お世話になっている人が関わっているからベタ褒めする(良いことしか書かない)」のは真摯に作品に向き合っていることにならないと思うので、辛口なことも書きます。

 

私が捻くれているというか天邪鬼なだけかもしれないけど、「器用に」「綺麗に」さらっと作られ過ぎていた感があって、それが少し物足りなかったです。

物語が今ここで紡がれている、届けられているというより、予定調和的に再生されている感じというか。

 

 

20代前半の私たち若手より経験値もあり、評価もされていて、上手い芝居、である事に間違いはなかったと思うのだけど、こなれているその感じがなんかいやで、いやって言葉はちょっとキツい言葉かもしれないけど、もっと手触りが欲しかった。

(「手触り」という単語も抽象的な感覚ですが、例えば鳥公園の西尾佳織さんの作品は手触りのある顕著な例だと思います。作品のテイストも作家性も違うので「コトリ会議もよその◯◯という劇団みたいになってほしい/寄せてほしい」とは全く思ってないですし、作・演出の山本さんならではの作家性を大事にしてほしいっていうのがもちろん大前提ですが、単語のイメージとして。)

 

 

コトリ会議の他の作品を観てない立場で言うのは失礼かもしれないけど、きっと本領発揮ではないでしょ?と思ってしまいました。

 

別に、10代のような「テクニックがなくても全力投球してるキラキラ感」を求めてるわけではないです。毎作品、毎公演に全力投球するのではなくて、千秋楽までのエネルギーを計算してコントロールするのも仕事かもしれない。熱量だけがあればいいってもんじゃないし、テクニックがあるのは良いことだし。

 

それでも、大人には大人の「本領発揮」があるはずで、せっかく関西から東京まで来てくれているのだからこそ傑作を届けてくれよ、って、こっちの期待値が勝手に上がってしまっているのを差し引いても、コトリ会議が持つポテンシャルを最大限に生かしているようには見えなかった。

それはこの作品が静かな作品だから表現もおさえめ、という意味ではなく。器用だからそれっぽく綺麗に完成させられてるけど、まだまだ深みに潜れるはずなのに浅いところで留まってる感じ。役者さんよりはむしろ演出の山本さんによる部分かなと感じたのだけど。

これが全力だというなら、本当に失礼だけど、同じ年齢になる頃まで芝居を続けていれば私でもこのくらいのクオリティ追い付けてしまうなあ、、、と思った。

 

勿論、淡々と進む、ズレて噛み合わない、わざとらしくチープで独特な曖昧な世界は魅力的ではあったけど。

 

 

設定も作風も視点も描きたいものも異なるとはいえ、星(地球)の終わりを描く演劇かつ、消えゆくときに手を繋ぐシーンでラスト、という意味では、ままごと「わが星」の描写には到底かなわないと思ったし、sons wo:「シティ」シリーズを観た時ほどには終末感というか滅びゆく文明や人類に想いを馳せることも出来ず。

 

(さっき鳥公園の名前を出した時にも書いたけど、その劇団のようになってほしいとは全く思ってないです。ただ、題材から想起する別の作品と比較して吸引力を感じられなかったという話。)

 

創作に関わった方々を貶して傷つけたいわけではありません。

 

でもたしかに、煽ってます。喧嘩売ってます。ごめんなさい。

 

私の言うことなんか、このクソガキって思って、大人の、追い付けないくらいかっこいい背中を見せて欲しい。下の世代が「先にやられてしまった!」って悔しがるような作品を見せて欲しい。

コトリ会議には、丁寧に描く力は間違いなくあるはずだからこそ。夢の中を揺蕩うような、詩情のある不思議な旅を、もっと強度を持って実現させてほしい。

そしてまた足を運びたいと思わせてほしいなと思ってます。