範宙遊泳『#禁じられたた遊び』

を先日観てきたのだけれど、これから書くことは、舞台上で起こっていた出来事によって想起された自分自身の経験や内面のことです。

作品自体の演出がどうとか役者がどうとか言う劇評ではなく、本当に個人的な話。

これまでの他の観劇作品についてのブログも別に「劇評」や「感想」という形になっていなかったものは多いけど、いつにも増して個人的な話だという気がします。

「こんなレベルじゃ劇評なんて言えないな〜」みたいな謙遜や卑下の意味ではなく、本当に全然内容に触れてないです。

だからこそ最初に「劇としてどうだったか」について一言だけ触れておきますが、今年観た演劇作品で一番でした。価値と意味と今やる必然性で。

 

 

私は「ハーフ?」と聞かれることが多い。

なんて切り出したけど、別に普段は自分から「ハーフっぽいでしょ」と主張したりしないし、ハーフメイクとか呼ばれるお化粧をしているわけではない。

 

(ハーフじゃなくてダブルとかミックスって呼び方のほうが良いみたいな話は知っているけれど、そもそも、この文章内で私自身がどの単語をチョイスするかという問題ではなく、私自身が他者から向けられる言葉が「ハーフ」なのでそのまま表記する)

 

これは大人になってからの話ではなく、赤ちゃんの頃から言われていたらしい。まあさすがにそれは覚えていないけど。

ただ、記憶にある限りでも、保育園の頃から23歳の現在に至るまで毎年、初めて会う誰かしらに「海外の血が入ってそう」という意味のことを言われてきた。毎年言われてきたっていうのは誇張ではなく事実で、そんな保育園の時のことまで覚えてんのかよって思われそうだけど、親から聞いた話ではなく自分の記憶として、覚えている。引っ越しや転校を何度かしてる関係で「これはこの場所での記憶だから何歳の時だな…」っていうのがわかりやすいのと、幼少期のほうが今より薄い茶髪だったから言われる頻度が高かったのもある。(ちなみに、染めたりしなくても、成長とともに地毛の髪色は濃く変化していった。)

 

そんなこんなで、新しい環境に行くたびその言葉は言われてきた。特に、写真より実物のほうがそう見えるらしい。

「(北海道出身だから=ロシアが近いから)ロシア系かな」とか、「(肌が白いから)北欧系っぽい」「(フランス人形のイメージで)フランスっぽい」の三ヶ国が一番言われるけど、とりあえずアジア圏ではないらしい。

 

 

(しつこいようだけど、そう言われることが多いというだけであって自分ではハーフっぽいと思っていないので、実際に私と会ったことのある人の中にも「ハーフっぽいって思ったことなかった」って人はいるかもしれないけど、それはそれで、まあそうですよねとしか言えない)

 

 

実際どうなのかといえば、海外の血は入ってないはず。辿れる限りは。といっても曽祖父の代より前のことは知らないけれど、そうなってくると、仮に混じってたところでだいぶ昔だ。

母方の祖母の妹が私以上に「外国人っぽい」と言われてきたらしいので、もし可能性があるとしたら母方の祖母方の遺伝なんだな、くらい。

ちなみにわたしは三兄弟の真ん中なのだけれど、兄と弟は父方の遺伝が強い顔立ちなのか、性別が違うからなのか、「ハーフ?」とか聞かれたことは全く無いらしい。

 

正直言って、瞳が青や緑なわけでもないし、彫りが深いわけでもない。むしろ横顔は平たい。ただ単に、瞳がほかの人より茶色いのと、肌が白いことくらい。たしかに、メラニン色素は少ない。

北海道を出た今になって「雪国出身だから色白なんだね!」とも言われるようになったけど、北海道に住んでた時から学年で一番白かったから、日照時間がどこまで関係あるのかは怪しい。

 

 

で、そう、どれだけハーフっぽいと言われるかみたいなことを書き連ねてきたけれど、ここからが本題。

そんな風に言われるからといってなんだというのか。

 

 

たぶん、私が「ハーフ?」と聞かれた時に抱く感情は、実際に海外の血を引く人がルーツを問われた時に抱く感情ともまた違ったものだと思うし、被差別的な経験や自身のアイデンティティに対する葛藤の量は比べ物にならないかもしれない。

 

だとしても、それでも、この立場も微妙に息苦しいんだよな、っていう、そういう話を、書こうと思う。

 

子ども時代は特に「異物」として認識されているような感覚があった。

 

保育園の頃は「日本人じゃないみたい」ってストレートに言われた。子供たちは国名といえばアメリカしか知らなくて、無邪気に「アメリカ人なの?」って聞かれていた。(本題からずれるけど、外国=アメリカって思ってたってこと、今書いてびっくりした)

アメリカ人とひとくちに言ったところで、本来は人種や民族でくくれないのだけれど、当然ながら保育園児にわかるはずもない。

「なんか自分たちとちがうな」と思ったからといってコミュニティから排除するような年齢でもないので、仲間外れにされるようなことは無かったし友達もいたけど、みんなで仲良く遊んでたけど、なんか違うね、っていうのを一番ストレートに向けられていたのはこの頃だったと思う。

 

兄弟の中で1人だけ顔が違うね、と言われるのも、今でこそ「たしかに似てないな〜」くらいの感覚だけど、昔は、じゃあどこの子だっていうんだ!と思ってしまって、自分だけ違う家の子だと言われているみたいで寂しかった。

 

私にハーフかと訊ねてくる人の大半は、悪意を向けているわけでもなければ差別している自覚も無いし、排除する意図は無さそうではある。

 

けど、小3のとき、転校先の男の子に「日本人じゃないなら日本語しゃべるなよ」って言われたのは未だに覚えてる。し、許してない。

お互い9歳だったから許されるとかそういうことじゃないと思っている。その発言をしたのはそいつ1人だけど、皆からそうやっていじめられたりはしてないけど、そういう発言を子供がしてしまうことが、ナチュラルにそういう考えに至ってしまうような環境っていうのがまじでしんどかった。転校生だったから余計にかもしれないけど、クラス替えも無いような田舎の村で自分たちと違うものに対して向けられる目、っていうのは、都会のマンモス校のそれとはまた違う。

 

ハーフっぽいってだけでそんな風に言われなきゃいけないなら本当のハーフの人はどんな言葉を向けられてきたんだろう、どんな視線に晒されてきたんだろうって気が遠くなる一方で、本当にハーフなら開き直れるのに!って思ってしまって、少し羨ましかった。

勿論、ハーフの人が「どっちの国にも属せていない気分だ」と感じている場合もあるのだろうけど、日本以外に「ここ」っていう国があるなら、そこを心の拠り所にしたり愛着や誇りを持てる可能性もあるのに、と思っていた。

「ハーフっぽいって言われるけど実際は違う人」は、コミュニティから排除されるだけされたところで、日本に馴染めなかったところで、実際のところ「もうひとつの場所」があるわけではないから。

そもそも「日本人であるか」「そうでないか」で境界線を引かれなければならない理由もわからなかったけど、実際のところは日本しか知らないから「純日本人だよ」って答えるしかなくて、「ぽくないね」と言われるたび、日本には完全に属していないような宙ぶらりんな気持ちになった(『純日本人』ってなんだろうって、純粋に日本人であるってどういう事なのかも曖昧なまま)。

 

今でこそ、「日本」だって本当は単一民族国家なんかじゃないし人種や民族を問うこと自体ナンセンスだと思うようになったけど、子どもにそんな反論ができるわけなかった。

 

高校生くらい〜大人になってからは「ハーフっぽいっていうのは褒め言葉だよ」って言われるようになったし、いつからか『ハーフ風メイク』『色素薄い系メイク』とかが流行りだして、たまたま流行の顔に該当した私は「ハーフみたいで良いなあ」とか、「可愛い顔ってことだよ、喜びなよ」みたいに言われるようになった。

だから、このブログの前半で書いたような「いかにハーフっぽいと言われるか」を語ろうものなら自慢と取られかねないってことも自覚している。「結局自分のことハーフっぽくて可愛いって言いたいんじゃないの?」って捉える女子が絶対いることも、ぜんぶ、肌で、感じてきた。

だけど、ハーフっぽい=可愛い=自慢っていうのもわりと意味わかんないなあとずっと思ってる。

 

向けられているのが悪意や排除ではなく好意であったとしても、褒め言葉であったとしても、その裏側にある白人コンプレックスなんなんだよと思う。なんで日本人離れしていることが褒め言葉になるのか。

 

もしほんとに私の顔を褒めてくれているならば、別の言葉で可愛いって言ってくれればいいのに、そこでアジアがどうとかヨーロッパがどうとか関係ないのに。

 

「まあでも、ハーフっぽいって言われて嬉しいかどうかはどこの国っぽいかにもよるよね。アジア系だと微妙だけど、ヨーロッパ系なんだから良いじゃん」みたいな事をつい最近言われたばかりだ。まじかよって感じだけどまじで。

でもそんなの全然嬉しくないし、ていうか私は日本人だしアジア人だし、もうこれ明らかに白人コンプレックスじゃんって思ったけど、相手が年上だったからって「そうですか?」としか言えなくて直接怒れなかった自分もまじでアホだしやんなっちゃうな〜〜って感じ。

 

これまで好意からそう言ってきてくれた人を攻撃したいわけでも、「ハーフっぽいって言ってごめんね」って謝ってほしいわけでもない。

ただ、言われるたびに、どこに向ければいいのかわからないもやもやがあった。

本当にハーフである人たちからしたら「実際人種差別を受けてきたわけじゃないのに」って思われるようなちっぽけなことなんじゃないかって自分でも思ってしまうけれど、そうやって、自分が感じてきたことや言われてきたことを無かったことにしたところで、やっぱりもやもやしちゃうわけで、それなら誰かと話した方がいいと思った。

書いた方がいいと思った。

 

この話にこれ以上のオチはなくて、ただひたすらに、乱雑に言葉を吐き出しただけなのだけれど、『#禁じられたた遊び』 は、おそらくこういった経験を話すことも許される作品だという気がしたので、ここに、これを記す。

 

 

今回のこの文章としてはひとまず終わり、だけど、これからも考え続けることになりそう。