リストカットする衝動に駆られたことは、無い。

カッターの刃を手首に当てたことは、ある。
切らなかったけど。
正確には、切れなかったと言うべきか。

 

あの子は当時よくリストカットをしていた。

 

あの子が「誰も私の事なんて気にしてくれない」と嘆くたび、あの子の悩みを聞いてまじめに心配しているつもりだった私という存在が否定されているような気がしていた。

 

どうしたら理解できるのか。
同じ痛みを知ったら?
それとも、切るに至るまでの心の動きを知ったら?

 

痛みを伴うその行為を実行させるための感情を、勇気と呼んでいいのかわからないのだけど、私には、その勇気は無かった。

 

カッターを当てた手首は結局傷付けられることはなくて一滴も血を流さなかったけど、結局あの子のことを理解できないのが悔しくて、涙が一粒出た。

 

偽善者、という単語をあの子が言っていたのを思い出した。

 

その涙はあの子のために流した涙じゃなくて、たしかに自分のための涙だった。
「誰も気にしてくれない」と嘆くあの子はあながち間違っていなかったのかもしれない、と思って悲しくなった。

 

 

中学生だった。

 

 

 

同じ頃、別の子に
「死にたいと思ったことって、ある?」
と聞かれたのは、私が通っていた中学校の授業の一環で、近くにある高等養護学校の人たちと交流をしたときのことだった。

 

その台詞だけは鮮明に覚えているのだけれど、どんな交流をしていたかという記憶はもはやおぼろげだ。


何かしらの簡単なレクリエーションをしていたように記憶しているのだけど、彼女が私に話しかけてきたのは、たしか、その合間。

 

体育館の壁にもたれてそう尋ねてきた彼女は、そこで話している限りではどんな障害を抱えているのかわからなかった。
そのあとも、いまも、結局わからないままだ。


その高等養護学校は、軽度から重度まで様々な知的障害を抱えた生徒が通っていて、ほとんどの生徒は親元を離れて寄宿舎で暮らしている。
これは憶測でしか無いけれど、彼女は「自分が障害を抱えている」ということを自覚しているように見えた。

 

何と答えれば良いのか言葉に詰まって黙っていると、彼女は「無いよね、ふつうの人は、」とちょっとだけ笑いながら言って、「わたしはね、あるよ」と続けた。
そのあとは、私のほうではなくて、体育館にいる他の生徒たちを見ていた。

 

なんで、とは聞けなかった。
死にたいと思った理由も。
それを初対面の中学生だった私に漏らした理由も。

 

初対面だったからこそ、もう二度と会うことも無いからこそだったのかもしれないけど。

 

無いと答えるのも、あると答えるのも違う気がした。

 

あの時彼女が発した「ふつうの人」の意味も、未だに捉えかねている。
それが障害の有無というニュアンスも含んでいるのかどうか。
どこまでそこに意識的だったのか。

 

同情を求めていたわけではなさそうだった。
でも彼女はひどく寂しそうだった。

 

彼女と会ったのはこれっきりだった。
もう彼女の顔もあまり覚えていない。
いま、ちゃんと、どこかで元気に生きてる?

 

死にたい、と軽く言ってしまえる人は周りにたくさんいるけど、彼女が聞きたいのはそういうことじゃないことくらいわかっていた。

 

あれから私も少しは大人になって、死にたいとまではいかなくても、絶望を感じて消えてしまいたいような夜はあることを知ったけど、当時の彼女に今の自分で会えたとしても、彼女自身の痛みはわからないのだろうと思う。
きっと、永遠にわからないままなのだろうと思う。

 

 


先日、鈴木麻弓さんという方による写真集「The Restration Will」の発売記念展に行った。
その写真たちは、2011年の津波で、女川で写真館を営んでいたご両親を亡くしたことをきっかけとするものだった。

 

いくつもの写真をゆっくり見た。
完成版に至るまでのダミーブックも見せてもらった。
在廊していた鈴木さんご本人ともお話をさせていただいて、本当に色々なエピソードを聞いた。

 

それらは、震災の悲惨さを伝える為だけのものではなくて、そこにあったぬくもり、愛、また新しく生まれた繋がりとか、そういうものがとても大切に刻まれていて、それらを通して未来のことを考えることができるものだった。

 

一通りそれらを見終えたあと、私は思わず鈴木さんに自分の感情を漏らしていた。

 

どうしても、実際に自分がその時それを経験したわけではない以上、本質的な部分できっと理解できない部分があること。
そのうしろめたさ。
部外者の言葉はどれも無責任になってしまうのではないかという気持ち。
だからといって口をつぐみたくはないこと。

 

鈴木さんは、頷いて聞いてくれた。

 

わたしはその時、同じ痛みを知らなくては、同じ傷を持たなくては語ってはいけない訳ではないのだと、赦された気がした。

 

それについて対話することを通して、また別の誰かの異なる種類の痛みが癒えることもあることを知った。

 

それまでも、わかってはいた。頭では。
昨年観たF/Tの「わたしが悲しくないのはあなたが遠いから」という演劇作品も、それに近い赦しをもたらすものではあった。


でも、中学生のあの頃からずっと自分の中にあった「その痛みがわからないこと」に対するジレンマの呪縛が解けたのは、この時だった気がする。